4月10日、震災から一ヶ月が過ぎ、避難所となって
いる名取市の館腰小学校に息子と一緒にボランティア
活動に行ってきました。
私たちの今回のボランティアの目的は
「だれかのために奉仕する」といったことではなく、
「自分のために現実の姿をキチンと観て味わう」と
いう体験学習のような感じで参加させていただきました。
私の家から30キロ程南に館腰小学校があり、そこから
東に3キロ程行くと大津波を直撃した仙台空港があります。
息子たちがちっちゃい時、仙台空港そばの公園で
飛行機の離着陸を間近で見てよく遊んだものでした。
私たちは校庭にクルマを止めて体育館に向かいました。
体育館の入り口の所でお昼の炊き出しが始まっていて、
自衛隊の方やボランティアの人たちが手際よく働いて
くれていて大鍋から湯気があがってました。
山形グループより遅れて着いた私たちが勝手に体育館に
入っていいのかどうかうろうろ迷っていたら、名札を
付けた係の方が体育館から出てきたので、
「すみません、マッサージのボランティアで山形から
来ているグループと一緒の者なんですけど」と告げると、
すぐに中に案内してくれました。
体育館の中は格子状に通路があって、家族単位で布団や
毛布を敷いてみなさん思い思いに過ごしていました。
山形からは、操体受講生のかっこいい最上さんと綺麗な
奥さん、美人でかわいい藤井さん、そしてEFT練習会
でお世話になっているやさしい阿部さんと、初対面の
おしとやかな杉山さんの五人が来てくれていました。
山形グループはすでに点々と施術を行っていました。
私が体育館を見渡していると最上さんが私を見つけて
声をかけてくれました。
「先生、あの方をお願いします」
指差したのは体育館の中央付近にデンと斜めに座っている
おばあさんでした。
ここでの施術は予約制のようで順番が決まってる様子です。
私はこのばあちゃんを屋上ばあちゃんと名づけました。
私が屋上ばあちゃんの近くまでトコトコ行ったら、
丁度ばあちゃんにお客さんが三人みえてなにやら深刻そう
に話が始まってしまいました。
私はしばらく通路で立ってキョロキョロとキタキツネの
ように待っていました。
暇そうな私を見かねてか、屋上のとなりのおばあさんが
私においでおいでと手で合図して呼んでくれました。
「しぇんしぇ〜、わだし、お願いしてもいいてすか〜?」
「はいはい」
私はホイホイおばあさんの所へ行きました。
こっちのおばあちゃんはさっちゃんと名づけました。
なんとなくそんな名前かなーと思ったからです。
さっちゃんは、私がそばに行くとすぐに
「左肩が痛いんです」といいました。
私は「家どうなりました?」と聞きました。
「なんにもなぐなった。津波に全部流されだぁ」
「あららら」
「んでもねぇ、お父さんも息子もみんな無事だったんで、、、」
「そうですか」
「ここにいる人たちはみなさんご近所の人なんですか?」
「んだ、閖上(ゆりあげ)の人たちです」
「私は富谷町に住んでいるんですが閖上市場に何度か
行ったことがあります。漁業をされていたんですか?」
「うちのお父さんはタクシーの運転手なんです」
「そうでしたかー」
「ではちょっと診させてくださいね」
つづく